こんにちは ヨハニです。 ※本ページはプロモーションを含みます。
本日は日本文化の一つ『茶道』の流派をご紹介。初回はその中でも有名な『三千家』についてご紹介させていただきます。
1 千利休

各流派を見ていく前に千利休について考えていきたいと思います。
私見ですが現代ある大多数の茶道の流派の元をたどると千利休にいきつくのではないかと考えています。
千利休の子孫が始めた有名な“三千家”を始め小堀遠州の遠州流。千利休の息子、千道安筋の片桐石州の石州流とほぼ千利休から発しているのではないかと思います。多くの弟子をもったことでも知られ、千利休の事を『茶聖』と称する所以といえるでしょう。
千利休は大柄な方で、その死の真相も今だ謎のままです。時の権力者で千利休の後ろ盾でもあった豊臣秀吉から切腹を言い渡されてからの死でした。
家業は堺の商家です。屋号は“魚屋(ととや)”。簡単に言えば倉庫業です。塩魚を扱う商人に倉庫を貸していました。今でいう不労所得的なものでしょうか!?(羨ましい!!)しかし、19歳の時に父親と前後して祖父が亡くなったそうです。当時は戦乱の影響で特権的商人は保護を失い苦境に立たされていたようで、もれなく千利休も経済的に困窮したようです。
法名は『千宗易(せんのそうえき)』です。
『千利休』の『利休』は宮中に参内する際に居士号としたと考えられています。
2 三千家

三千家とは『表千家』『裏千家』『武者小路千家』を総していう呼び名です。
この三つの“千家”は千利休の孫の『千宗旦』の子供たちによって作られました。
千利休の後妻の連れ子である『千少庵』。この千少庵は千利休の娘婿になり跡をつぎます。
先妻の子供である『千道安』がひらいた堺千家(千家の本家)に対して傍系になります。
※千道安には嫡子がいなかった為、断絶しました。
千少庵の息子の『千宗旦(母は千利休の娘の亀)』が千家3代目(表千家3代目)となります。
この千宗旦の息子たちがのちの三千家を作っていきます。または引き継いでいく事になります。
◎表千家不審菴(本家)…三男の江岑宗左が家督を継ぐかたちで表千家を引き継ぎました。後妻の子。
◎裏千家今日庵…4男の千宗室が興しました。後妻の子。
◎武者小路千家官休庵…宗旦の先妻の次男が興しました。先妻の子。
※先妻の子である長男・千宗拙。次男・千宗守。
3 表千家
千宗旦の三男である江岑宗左が宗旦の隠居に伴い跡をつぐかたちで表千家をつぎました。
江岑宗左は千利休から4代目となります。
この4代江岑宗左は紀州藩初代藩主徳川頼宣の招きで紀州徳川家に仕えました。明治に至るまで表千家の歴代家元は
紀州徳川家の茶頭として仕えました。現在の表千家表門は紀州徳川家が建てたものです。紀州では藩主だけでなく庶民に
まで広がり、現在でも表千家の茶道が盛んです。
表千家の歴代家元は4代江岑の諱『宗左』を受け継ぎ、襲名以前は『宗員』と称し、隠居してからは3代元伯の諱『宗旦』
を名乗るのが伝統です。当代は15代千宗左です。(※2025年2月)
4 裏千家
千家3代宗旦は隠居し新たに茶室を建てて4男仙叟宗室と共に移り住みました。
この茶室は『今日庵』と呼ばれ宗室に譲られました。裏千家の誕生です。
父である3代宗旦の没後、裏千家の4代を継承しました。
裏千家4代宗室は加賀前田家の前田利常に仕官して、その後前田綱紀に茶頭として仕官しました。
4代仙叟宗室の没後すぐに5代常叟宗室は加賀藩に仕官しましたが、ほどなく辞して伊予松山藩
久松家に仕官しました。それから幕末に至るまで久松家に仕官しながら前田家とも交流を続けることになります。途中、8代一燈宗室のときに徳島藩蜂須賀家にも出向しています。
裏千家の歴代家元は4代仙叟の諱『宗室』を受け継いでいます。
5 武者小路千家
3代千宗旦の先妻の子で次男の4代一翁宗守は最初、家を出て塗師の家へ養子として入りました。(同時に先妻の子で長男の千宗拙も家を出ました。一説によれば宗拙は父親の千宗旦との折り合いが悪く勘当されたようです。)宗守は還暦を前に千家のお茶の世界に戻り、兄弟の勧めもあり武者小路千家をひらいたようです。それまでの宗守の塗師としての仕事は『中村宗哲家』に継がれました。(中村宗哲は千家十職の塗師となっています。)
4代宗守は宗旦没後に高松藩の松平頼重の元へ茶頭として出資しました。その後、武者小路千家の家元は高松藩の茶道指南役に就いています。
武者小路千家の家元は4代一翁宗守の諱『宗守』を受け継ぎます。
家元の後嗣は『宗屋』を称し、隠居してからは元伯の諱?『宗安』を名乗る習わしとなっています。
6 まとめ
今回は数ある茶道の流派の中でも有名な『三千家』について、ご紹介させていただきました。
現在でも生徒数が多い流派です。
表千家の『不審菴』裏千家の『今日庵』武者小路千家の『官休庵』は茶室の名前です。各流派の発祥地です。
発祥順は表千家→裏千家→武者小路千家、です。
家元の年齢順は武者小路千家→表千家→裏千家、です。
各流派は千利休から始まったとはいえ、それぞれ流儀が違います。その点は後日、ご紹介させていただこうと考えています。
また、私がとても気になった点といえば各流派の地域との結びつきです。
表千家は和歌山県。裏千家は愛媛県と徳島県、石川県。武者小路千家は香川県。
その各地の文化がとても気になります。季節ごとのイベントや学校での行事。もっと言うと各家庭での風習も違ったものが
あるのかもしれません。その点においても調べて後日、ご紹介させていただきたいと考えています。

最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。