ヨハニログ

戦国武将・荒木村重と有岡城と茶人・荒木道薫

1 荒木村重

荒木村重は戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名であり利休十哲の一人です。

☆歴史的ハッスルポイント①☆

利休十哲とは千利休の高弟とされる人の事を言います。(諸説あり7人~8人いたとされています。)

村重は、もとは摂津の有力国人である池田氏に仕えていたようです。その後、主家である池田氏を掌握し、やがて完全に村重が主家の池田氏を乗っ取る形になりました。その後、織田信長に従い越前一向一揆や石山合戦、紀州征伐などで活躍しました。

『有岡城の戦い』

しかし、突如として織田信長に対して反旗を翻しました。はっきりとした理由はわかっていませんが離反するくらいなのでよっぽどの事があったのでしょう。織田信長に敵対していた毛利家についたようですが期待していた援軍を毛利家からうける事ができずに結局は籠城していた有岡城から脱出する形になり有岡城はのちのち開城することになりました。この騒動で結局、村重は嫡男と毛利家に亡命し毛利家の領地である尾道で隠遁したとされています。

2 有岡城(伊丹城)

もとは伊丹城と言われていましたが荒木村重が攻め落とし大改修し、有岡城と改称しました。摂津国川辺郡伊丹段丘有岡にあったお城です。とても大きなお城だったようで、当時の有岡城を見学した宣教師ルイス・フロイトが『甚だ見事なる城』と言ったくらい立派なお城でした。また、反旗を翻してから信長の城攻めに対して約1年間耐える事が出来たことからも有岡城の規模もしくは防御力を痛感する事できます。現在は天守閣などはありませんが一部、石垣など当時を偲ばせるものがあり、一部は公園として整備されています。

☆歴史的ハッスルポイント②☆

皆さん、『総構え』ってご存じですか?お城の周囲に堀と土塁をめぐらし、街屋敷や町屋を配置し、防御帯と設けた城郭構造の事を言います。わかりやすく言いますと大坂城や江戸城などにもあったもので、有岡城の総構えは最古の遺構と言われています。この有岡城の総構えは荒木村重による大改修によるものです。

ヨハニ
ヨハニ

説得しに行った黒田官兵衛が有岡城の牢内で1年弱の間、幽閉されていた事でも有名ですよね。有岡城跡には『官兵衛ゆかりの藤』なるものがあります。

3 荒木道薫(あらきどうくん)

さきほど、ご説明させていただいた『有岡城の戦い』において村重の奥さんや身内の方、重臣の身内や使用人など大勢の方が戦後、処刑されたようです。そのような事もあり“村重は身内や仲間を見捨てて有岡城から一人だけ逃げ出した”というレッテルを貼られる事になりました。実際はそうではなく一旦有岡城を抜け出して形勢を立て直すつもりだったようです。結果的にはそうはなりませんでしたが。

 この事から村重は一人で生き延びたことを恥じ、世捨て人として『道糞(どうふん)』と称したが秀吉の命で『道薫』に改名したというエピソードがよく知られています。信長が本能寺の変で横死した後、村重は尾道から堺に移ったとみられ、天正11年(1583年)初めには道薫(どうくん)と名乗って、津田宗及の茶会に出席している。

☆歴史的ハッスルポイント③☆

津田宗及(つだそうぎゅう)とは‥‥千利休・今井宗久とともに茶湯の天下三宗匠と称せられました。堺の豪商・天王寺屋の津田宗達の子として生まれました。茶人・竹野紹鴎の門人であった父に茶道を教わりました。そして、大徳寺住持の大林宗套に禅を学び、後に天信の号を与えられました。その時々の権力者に接近し石山本願寺の下間丹後の一族、次いで三好政康を頼みにし、やがて伸長してきた織田信長に接近しました。最後は時の権力者、豊臣秀吉からも信頼を得ていたようです。天正19年(1591年)に死去。徳川家の世になるまでに亡くなったようです。

☆歴史的ハッスルポイント④☆

唐草文染付茶碗『荒木』……読んで字のごとく荒木村重が所有したとされる名茶碗です。村重ののち千利休・徳川家康が所持し、家康の遺産『駿府御分物(すんぷおわけもの』として尾張徳川家に伝来しました。※現在は徳川美術館に収容されています。

ヨハニ
ヨハニ

道薫として生きた半生はどのような心境だったのでしょうか。村重が茶道に求めていた境地はどのようなものであったのでしょうか。一次資料には全く残っていませんので今となっては誰も知る由もありません。

4 まとめ

伊丹は江戸時代の1661年には摂関家の近衛家の所領とされ、その保護の元に造酒業が栄えました。現在は2軒の酒蔵が残るのみですが、当時の雰囲気を伝える伊丹酒蔵通りでは古い酒造りの道具を見学したり、お酒を買い求めることも出来ます。JR伊丹駅から気軽に歩いて散策するには絶好のスポットです。※伊丹市は古くから日本酒の醸造がさかんで上質な酒を沢山、醸造する事が出来た為、清酒発祥の地を標榜しています。

☆おすすめ日本酒スポット☆

①白雪ブルワリービレッジ 長寿蔵

地元日本酒メーカーの小西酒造さんが運営する複合観光施設です。ミュージアム・レストラン・直売所があります。伊丹酒蔵通りのシンボル的存在です。

②伊丹老松酒造

こちらも地元の歴史ある酒造メーカーです。創業は1688年。近年では伊丹産のマイヤーレモンを使用した果実酒やポン酢など新商品開発も行っています。直売所があります。また、直売所前には酒造りに使われていた井戸水が湧いていて平日は味わったり、持ち帰ることも可能です。

戦国時代とはいえ有岡城の戦いはとても残酷な最期でありました💦

ですので、おすすめ歴史的日本酒スポットとしての伊丹市を最後にご紹介させていただきました。

ヨハニ
ヨハニ

どんな地域にも歴史があり、そして今があります。私の独断と偏見でその地域の歴史を紐解き、魅力を発信していけたらなと考えています。

ヨハニ
ヨハニ

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です