ヨハニログ

お遍路さん体験と四国の魅力、そして逆打ちお遍路について

1 初めに

今回は

①お遍路さん体験段(プチですが)

②その過程で行った焼物の窯元 

③当時流行っていた映画について(逆打ちお遍路)

以上、3つの項目にわけてお話を進めていきたいと思っています。

2 お遍路さん体験(プチ)

 きっかけ

当時の私は自分が持っている価値観を変えたいという欲求が強く、いつも今までと違うものに挑戦していたいと思っていました。ですのでサークル活動であったり地域の活動、そして小説や本など沢山の体験や知識を求めていました。

その中で出会ったものの一つが『四国八十八か所巡礼』でした。

八十八か所自体は室町時代以降に定められたようですが、実際に一般の方が巡礼を始めたのは江戸時代頃からだそうです。中には病気で動けないので代わりに巡礼をしてもらう方もおられます。“そんな昔から人々からの強い信仰を得ている巡礼とは?”という気持ちが強くなり実際に自分で体験するに至りました。心が動かされる体験が出来るのでは?という淡い期待を抱いて。

 四国八十八か所巡礼とは

四国にある空海(弘法大師)ゆかりの88か所の仏教寺院を巡礼する事です。また、巡礼者を『お遍路さん』と呼びます。札所(お寺)に参詣することを『打つ』、巡礼に新設にする事を『お接待』と表現します。

 

 体験談(7か所しかまわっていませんが)

結論を言いますと2日間しか巡礼していません。7か所です。歩きで。1番札所からスタートして7番札所まで行きました。1番札所前にお店があり、そこで“杖”、“ポシェット”、“上着”を購入。ここまで来て言う事ではないのですがズボンと帽子もあるのですが、『これはガチになるな』と思い買わなかったです。今思えば少し恥ずかしかったのだと思います。もちろん、お遍路さんスタイルにならなくても巡礼はしても良いのでご心配なく。途中、雨が降ってきて傘をさしてのお遍路となりました。

☆気づいた事。

①巡礼出来ない方の代理人として巡礼されている方が多い。プロ巡礼士!?オーラが違っていました。

②杖などを購入したお店で言われたのが『今はシーズンではない』……シーズン?巡礼にシーズンってあるんかな?それも季節的なシーズンだそうです。確かにまだまだ気温の低い時期でした。

③シーズンではないがそこそこの数のバスが巡礼している。バスに乗って巡礼されている方が多いという事です。確かにバス旅行のツアーにもあります。『四国八十八か所巡礼ツアー』なるものが。

④歩きで巡礼する人よりバス巡礼される方のほうが多いのでは!?

⑤初日の宿まではタクシーで移動。ドライバーの方には巡礼者慣れされている接客をしていただきました。といのも、学生が一人でガチ巡礼って“何かあったのかな?”って滅茶苦茶身構えるじゃないですか、ドライバーの方からしたら。逆に私がそう思われるんだろうなと身構えていましたが、そんな心配はなかったです。

⑥宿(民宿?)で食べた菜の花の浅漬けがとても美味しかった。それまで食べたことがなかった『菜の花の浅漬け』。巡礼から帰って家の近所のスーパーに探しに行きました。結論から言うとスーパーには美味しい“菜の花の浅漬け”があればめちゃくちゃ苦い“菜の花の浅漬け”もあり、当たり外れがあるなと思いました。

☆体験談まとめ

巡礼には様々なスタイルがあり、どれも正解。というか正解がないという事だなと感じました。最初は『巡礼にシーズン?』や『巡礼に代理人?』と思いましたが考え方・捉え方・状況・体調など人それぞれです。何でもそうだと思います。結局、学生の私は心を大きく動かされる体験は出来ませんでしたが、この時の巡礼(プチ)で様々な価値観を実感として得る事が出来ました。半分、旅行でしたが💦

3 大谷焼

大谷焼は徳島県鳴門市大麻町大谷で作られる陶器です。陶祖は大分県の文右衛門で1780年頃と言われています。寝轆轤と呼ばれる独特の轆轤を用いて政策される大甕で知られています。大甕作りは2人でされます。1人が寝ながら足を用いて轆轤を回す事から『寝轆轤』と呼ばれています。この大甕は阿波地方特産の藍染めに欠かせない道具です。元々は染付磁器が焼かれていましたが経営悪化でわずか3年で藩窯は廃窯となり1784年に先に申し上げました藍染め用の大甕として再興されました。現在では壺や皿、徳利、片口、茶器などの小物を焼いている窯もあります。

我が家の食器棚にはこの時に購入したぐい呑みが出番を待って眠っています。(頻繁にお酒を飲む習慣がないため)

備前焼や萩焼、信楽焼ほど知名度はありませんがおススメです。

私は巡礼を始める前に行きました。

4 逆打ち(ぎゃくうち)お遍路

逆打ちのきっかけ

天長年間に愛媛の長者・河野衛門三郎が自分の悪行の許しを請うため、弘法大師の後を追ってお遍路を始めましたが20回巡礼しても弘法大使には会う事が出来ませんでした。21回目にして『逆打ち』を思いつき12番札所で倒れ、薄れゆく意識の中でついに弘法大師が現れ全てを許されたと言われています。三郎が『逆打ち』を始めたのが閏(うるう)年と言われている事から閏年に『逆打ち』をすると弘法大師に会えると信じられていています。

5 まとめ

気候が良くなると巡礼者も増えるのではないかと思います。旅行代理店でも閏年という事で四国八十八か所巡礼ツアーのキャンペーンをされているかもしれませんね。

江戸時代から続く巡礼。一度、体験してみてはどうでしょうか。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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