ヨハニログ

越木岩神社~竜神伝説と大坂城~

1 越木岩神社

そもそも、『越木岩神社』とは?

私は最近知りました。最初に知った時は西宮にあるとは思えませんでした。『西宮=現代的』という図式が私にはあったからです。もちろん、神社が古臭いと言っている訳ではありませんが現代的とは相反する感じがするからです。

越木岩神社(※ヨハニしらべ)

〇兵庫県西宮市甑岩町に鎮座する神社です。

〇創建は西暦600~700年頃。

〇女性守護・子宝・安産・商売繁盛のご利益があるといわれています。

〇もともとは当地にある『甑岩』などを祀った『自然崇拝』が中心でありました。

〇古代信仰の時代に当地から北山・目神山や六甲山を一大霊場とした磐座・磐境祭祀のランドマーク・霊岩として『甑岩』が祀られたと考えられています。

〇当地は積み出し港の名前を取った御影石(花崗岩)の産地としても有名。

〇『甑岩』…周囲40m・高さ10mの巨岩。

甑岩の竜神伝説

戦国時代のことですが。この地域の村人たちは甑岩には白い竜が住み着いていると信じていました。そんな折、大坂城築城でこの甑岩を大坂城の石垣にしようという動きが起こりました。もともと、この甑岩がある一帯は採石場として有名でした。村人たちの必死の抵抗もむなしく、いざ岩を切り出す作業が始まりました。この甑岩の採石を担当したのは『池田長幸(ながよし)』と言われています。池田長幸は江戸時代前期の因幡鳥取藩の2代目藩主であり備中松山藩の初代藩主です。今でも池田長幸の家紋が刻まれています。岩の中には肥前佐賀藩主・鍋島勝茂の刻印も残されているようです。『鍋島勝茂』とは佐賀藩藩祖『鍋島直茂』の長男です。

何が起こった!?

実際に石工たちが甑岩を削っていた時、割れ目から鶏の鳴き声がし、真っ白な煙が立ち昇ったようです。その霊気に石工たちは岩諸共転げ落ちて倒れてしまったようで結果的には甑岩からの採石は断念したようです。この煙が『竜神様』だったのかはわかりませんが……

2 大坂城の石垣

大坂城の石垣には約100万個の花崗岩が使われています。これらの石は先ほど触れました六甲山や瀬戸内海の島々から、そして大坂城から遠く離れた九州の採石場からも運ばれました。その中で主な採石場としては小豆島があります。その根拠として豊臣秀吉は『加藤清正・片桐且元・細川忠興』らを採石奉行として小豆島に派遣したようです。小豆島の石はその硬さと耐久性で知られています。この石の強さが大坂城の堅固な防御の要素となっているんですね。

3 豊臣大坂城の石垣

発掘

2021年に大阪市は大坂城跡に埋まっている豊臣大坂城の石垣を発掘しました。というのも、今見る事が出来る『大阪城』は豊臣大坂城ではありません。豊臣大坂城→徳川大坂城→大阪城なんです。豊臣大坂城は戦国時代の『大坂夏の陣』において徳川方に攻められ落城しました。その時に火災がおこり、なおかつ徳川方は新たに大坂城を立て直す時に豊臣大坂城を地中に埋めてしまいました。ですので、今は『太閤さんの大坂城』は見る事が出来ない状態なんです。地面を掘り起こさないとわからない状態なんです。

豊臣大坂城石垣公開施設 

先ほど触れました、豊臣大坂城の発掘された石垣が一般の方も見られるようになります。それが来年2025年の春だそうです。このプロジェクトは延期に次ぐ延期で当初は2022年春開業予定だったそうです。今もまだ開館予定なんで延期されるかも!?今回は予定通り開館して欲しいところですね。しかし、残念なことに大坂城の入城料が上がります。現行は600円。2025年春からは1200円と倍になります。これはこの『石垣公開施設』の利用料も入っているようなので当然でしょうか。

4 まとめ

思いもよらない所で繋がりを感じます。まさか西宮で大坂城!?九州で採石された石が大坂城の石垣に使われている事を考えると、距離的にはそう遠くはないんですがね。

『西宮→大坂城』、『大坂城→西宮』と西宮の越木岩神社に思いをはせながら大坂城の石垣を見る。または大坂城の石垣を考えながら越木岩神社の甑岩を見る。このループが歴史好きにはたまりません。

大坂城の石垣公開施設は来春オープン予定です。入場料が高くなるとは言え、毎日の事ではないので💦豊臣大坂城の石垣を肉眼で見る事が出来るとなれば高くはないかもしれません。それこそ石垣に各大名家の家紋が入っているか探すのも楽しみの一つですね。

皆さんも一度『越木岩神社』と『大坂城(豊臣大坂城)』に行ってみてはいかがでしょうか?

最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です