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『丹波篠山城』と『八上城』と『丹波の黒枝豆』

1 丹波篠山城

1609年に徳川家康の命令で築城されたお城です。1609年というと大坂冬の陣(1614年)・夏の陣(1615年も)と考えると、まだ正式に徳川の世になっていない時代です。表立ってではありませんが裏では徳川氏VS豊臣氏の構図が出来上がっており、お互いに敵視していたと思います。そこで徳川家康は大坂の豊臣氏をはじめとする豊臣派も含めた西国大名のおさえとして、新しく篠山の地に築城を命じました。なぜなら、この篠山の地は山陰道の要衝である丹波篠山盆地にあります。

縄張りは築城で有名な藤堂高虎。普請奉行は池田輝政が務めました。天下普請とよばれるもので豊臣恩顧の大名や西国諸大名を動員しての築城になりました。15ヶ国、20の大名、総勢8万人の大労力で、わずか半年で完成しました。

☆歴史的ハッスルポイント☆

『縄張り』とは‥ずばり、お城の設計の事です。本丸などの建物と堀や土塁などの防御施設など全てを設計する事です。

『普請奉行』とは‥多分、今でいう現場監督ではないかと私は勝手に思っています。

なかなかのスターが関わったお城だという事がわかりますね。

ちなみに丹波篠山城はとても堅固な作りだったそうで、工事期間が通常より長くなったようです。命令していた徳川家康もこの工事期間の延長には苦言を呈したようです。必要以上に堅固だったようですね。

結局、色々と説はありますがお城の中心建造物の天守閣は立てられることはなかったようです。天守台はあったようですが。そのかわり中核には『大書院』が建てられました。徳川の世が終わる約260年間にわたって、篠山藩の公式行事などに使用されました。一度、昭和19年に火災により焼失しましたが平成12年に復元されました。

現在の大書院

木造建築物としては規模が壮大で京都の二条城の二の丸御殿の建物に類似しています。この二条城の御殿は将軍が上洛した時の宿として使われていたことを考えると、篠山城大書院は一大名の書院としては破格の規模であったと言えます。その規模は床面積739.33平方メートル、棟高は12.88mあります。

現在、大書院内では江戸時代の篠山藩内の出来事をパネル展示しています。

☆丹波篠山市の4つの文化施設(歴史美術館・武家屋敷安間家資料館・青山歴史村・篠山大書院)では体験ワークショップが開かれています。

①甲冑着付け体験

②お姫様 打掛着付け体験   などです。

2 八上城

八上城とは‥‥

中世である室町時代から戦国時代にかけてのお城で丹波の国人・波多野氏が本拠としました。本城と支城があり全体的に大規模な遺構です。

もともと石見の人と言われている波多野清秀が応仁の乱で戦功を上げて多紀郡郡代に就任した事からはじまります。16世紀前半には高城山頂に八上城を本城として築きました。1557年に松永久秀によって城を奪われるも約10年後の1566年には清秀の曾孫の波多野元秀が奪還しました。

八上城と明智光秀

※本能寺の変の原因とも言われる明智光秀の母が八上城で処刑された件。これは史実ではないと言われていますが。

1575年に織田信長の命を受けた明智光秀によって攻略されました。兵糧攻めにより1579年に落城。当主の波多秀治(元秀の子)や一族の秀尚、秀香は捕縛され安土城下で処刑されました。そして、先ほど触れましたが『人質として出されていた明智光秀の母が磔に処された』というのは、この八上城落城における出来事として語られていましたが現在では史実ではないと明らかになっています。

八上城は一見、近くを車で通りかかってもきずく事はないでしょう。山頂にひっそりと遺構が残っているだけなので。

しかし、特に明智光秀よる攻略だけを見ても、とても濃い歴史が詰まったお城と言えるでしょう。

こんな、お城が丹波篠山城から近くにあるとは思えませんし気づかれる事がありません。

3 丹波の黒豆

『丹波の黒豆』は関西在住の方にはとても有名だと思います。

通称『丹波黒』。在来種の総称です。呼称としては『丹波黒・丹波黒大豆・丹波篠山黒大豆・丹波篠山黒枝豆』などがあります。

丹波地方で1700年代に編み出された犠牲田という手法を使って黒大豆の栽培が始まりました。

特徴

〇丹波地方は昼夜の寒暖差が大きく、適度な雨量、栽培に適した粘土質の国土。

など、とても恵まれた環境となっています。

〇期間は10月の約2週間~3週間。『幻の枝豆』と呼ばれています。

〇粒がでかい。一般的な黒豆は一粒約30gで丹波黒は約80g。でかいです。

〇栽培期間が長い。一般的な黒豆は約70日間で丹波黒は約1.5倍の日数。

〇栄養価が高い。長期栽培のおかげで長期間栄養が豆に蓄積されている。

〇手間がかかる。一般的な黒豆は機械で収穫。丹波黒は栽培・収穫・天日干しのすべての工程が手作業。『苦労豆』とも呼ばれる。

〇味はピカイチ。独特のコクに甘み。ホクホク食感は最高級の美味しさです。

丹波篠山での黒枝豆の収穫時期は例年10月初旬~末日頃の限られた期間だけ。

丹波篠山市では黒枝豆の品質をたもつため『販売解禁日』を設けています。

この一か月間での味わいの変化を楽しむのがツウ。解禁日直後は黒枝豆のサヤは比較的あざやかな緑色をしており、さわやかな味わいと食感が特徴。日がたつにつれ徐々にサヤは黒い斑点が増えて豆時代も赤っぽくなってきます。茹でると名前の通り黒っぽくなってきます。また、味は甘みが増してき食感がもっちりしてきます。最終日にむけて見た目が少し汚くなってきます。しかし、味の深みが増してきて、より美味しくなってきます。

私はこの時期に丹波篠山による場合は街頭で農家の方が販売されているのをよく目にします。価格も統一されているのか、どこの店舗も同じ売価だったと思います。その風景は丹波篠山の秋の風物詩と言っても過言ではありません。

4 城下町

その中の一つ『黒豆』使った商品が沢山扱われています。『黒豆ソフトクリーム』『黒豆パン』『黒豆茶』『黒豆コーヒー』など。黒豆を一年を通して楽しめる事ができます。また、丹波篠山グルメと言えば『牛麦とろ丼』。黒豆に限らず農産物が豊富な丹波篠山。山の芋が有名です。その山の芋を使ったグルメもおすすめです。観光案内所もありお城周辺は観光地となっています。駄菓子屋もあったりと老若男女、楽しめる街と言えるでしょう。

5 まとめ

室町~戦国時代の歴史を強く残した八上城。

太平の世・江戸時代の歴史を色濃く残す丹波篠山城。

このふたつ(と言っても、八上城跡に行くには山を少し登る必要が!?)を一緒に感じる・体験するには丹波篠山城界隈がおススメです。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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